実は、この「給食ひろば」の公開に併せて、どうしても行っておきたい場所がありました。 世界で唯一の学校給食に関する博物館といわれる、埼玉県北本市にある、学校給食歴史館です。 JR高崎線北本駅からバスで約15分ほど、埼玉県内の学校給食において主食の供給や学校での食育を支援する活動などを行っている埼玉県学校給食会の敷地内にあります。
休館日は土日、祝日。 訪問できるのは平日です。 とはいえ平日の午後、果たしてスタッフさんはいるのだろうかと心配していたのですが、専門員さんがちゃんといらっしゃいました。 そしてご突然の訪問にも拘わらず、親切にアテンドまでして下さいました。
まずは、この学校給食歴史館が、世界で唯一の給食に関する博物館なのか伺ったところ、 「日本では唯一というのは言えるけれども、世界になるとちょっとわからない(笑)」とのことでしたが、英語圏WEBサイトでは類似する施設が見つかりませんので、世界で唯一と言ってよいでしょう。
入り口で出迎えてくれるのは、なんと「あの」鶴岡市の記念碑です。 明治22年(1889年)、山形県鶴岡市、家中新町の大督寺境内にある私立忠愛小学校で、生活が苦しい家庭の子どもを対象に昼食を与えたのが、日本の学校給食の始まりと言われています。
御影石で作られた「学校給食発祥の地記念碑」。 鶴岡市の大督寺境内に今も建つ同記念碑を、忠実に縮小再現したものです。 埼玉に再現されていたとは知りませんでした。
中に入ると、各年代ごとに象徴される代表的な献立を模した給食のレプリカとポスター展示が続きます。 かなりの数に驚きます。
忠愛小学校で始まった給食とされる「おにぎり、鮭の塩焼き、漬物」から始まりますが、戦前、戦後、高度成長期、平成、現在までの学校給食の代表的な献立が並んでいます。 戦後の学校給食制度の始まりについてはまた別の記事にアップしてみたいとは思いますが、ここはまさにその学校給食の年代記に触れることができるのです。
これらのサンプルを見ていて面白いなぁ、と思ったは、訪れた大人が子供の頃に食べた学校給食のサンプルを見ながら、「あぁ、私はこの給食だった」とお互いに食べていた給食を知り合えるというところです。 記者もついつい「あぁ、私、ここです。この給食を食べていました。」と専門員さんに話していました。
専門員さんもその道のプロですから「この当時の牛乳はですね・・・」と楽しいお話をしてくださいます。 子供も大人も充分楽しめますが、むしろ大人のほうが面白く感じるかもしれません。
ポスター展示も学校給食の歴史について詳しく説明してあります。 ララ物資による戦後の学校給食の始まりはもちろんですが、ずっと気になっていた埼玉県で学校給食がいつどこで始まったのか、という疑問もパネルでしっかり説明されていました。
そして、学校給食法の説明。 特に第2条に記されている学校給食の目的をパネル化されていました。 保護者はもちろん、栄養教諭、現場の先生、一般の市民の方に知って、理解していただきたいとという思いなのでしょうがとても共感しました。 月並みかもしれませんが、とてもいいことが書いてあります。 記者も迷ったときはこの学校給食法の第2条を読み直すようにしています。
さて。 給食費のひみつのお話です。 保護者から預かった「給食費」は食材の購入に充てられます。 先ほどの学校給食法に書かれていますから本当は秘密ではありません。 埼玉県内の公立小中学校の給食費額の年次推移を示すグラフも掲示されていました。
ここで、専門員さんは「学校給食費を抑えろなんていう方もいらっしゃるのですが、現状でも充分安いと思いますし、ちゃんとしたものを子供に食べさせたいというふうに思うならばそれなりにお支払いいただきたい・・・」と申し訳なさそうに説明するのですが、記者はその意見に激しく同意していますから 「ですよねぇ。そんなこと言ってる一方で中国産はだめだとか言われちゃかないませんよね。」と、返すとすっかり意気投合。
「給食費の未払いとかホントに勘弁してほしいです!」。 「ですよね!」と、盛り上がってしまいました。
さて、すっかり時代が飛びまして現代です。 そうはいっても2002年のお話ですが。
2002FIFAワールドカップではアジア最大級のサッカー専用スタジアム埼玉スタジアム2002で準決勝を含め4試合が行われました。 そこでスタジアムがあるさいたま市ではワールドカップ給食を子供たちに提供していましたが、そのレプリカが展示されていました。 このように現在では日本の伝統的な行事給食だけではなく、いろんな国際的なイベントに併せてその関連国の料理を提供し国際理解などを進めるなどの工夫がされています。
また、イベントの給食だけでアピールするだけでなく、埼玉県で行われている献立の充実や調理技術の向上を目的としたコンテスト、指導などの様子も展示しています。 埼玉県全体で学校給食のレベルを上げていくという取り組みです。 そういったこともやはり一般の方に知っていただきたいということなのでしょう。 記者もとても大切なことだと思います。
そしてここでも表彰された献立がレプリカになっていました。 これからさらに展示する給食レプリカが増えていくと思うのですが、展示する場所も限られます。 増築するといいと思います。
なんという通好みの展示でしょう。 ここ、学校給食歴史館は埼玉県学校給食会が母体ですから、パンに使われる小麦粉やコメなどの主食の分野の流通に大きくかかわっています。 学校給食のパン、コメ、麺など、どのようにして学校に配送されてるのか、そのルートも図にして説明されています。
説明を受けていて、あっ、と思ったのは麺についてでした。 給食で使用される麺は当日製造で保温配送なのです。 すっかり忘れていましたが、ソフト麺でも中華麺でも温かかったのを思い出しました。 スーパーで流通してるのは前日製造でいいのですが、学校給食で使われる麺は当日製造。 製麵屋さんもそれに応えるために頑張っておられるようです。
麺のコーナーにもやっぱりレプリカがありました(笑)。 いったいどこで作っているんでしょうね。 やはり合羽橋でしょうか?
この麺の展示ひとつを見ていても、専門員さんと「このうどんをね、ふたつに割ってね」。 「男なんてこのままお椀に入れて、汁をあふれさせて先生に毎回叱られていましたよ。」 と盛り上がってしまいます。 あっという間に時間が経っておりました。
このように、学校給食歴史館では、様々な資料を収集展示して、多くのひとに学校給食について理解をより深めていただくとともに食育の推進にもチカラを入れています。 そしてそれはとても楽しめる内容になっていますので、埼玉の新しい観光資源として訪れてほしいと思う埼玉住みの記者でありました。
場所はこちらです。