明治時代末期に建てられ、横浜市で最も古い倉庫である「旧三井物産横浜支店倉庫」の解体工事が始まりました。 横浜市は「極めて貴重な遺構」として保存を求めてきましたが、所有会社は検討の結果「解体の結論に至った」として11月5日に着手、解体工事は来年の2月20日まで完了する予定になっています。
この倉庫は3階建で1910年に完成、鉄筋コンクリート造の建物が成立していく軌跡を示す極めて貴重な建築物です。先頃世界遺産に登録された富岡製糸場で作られた生糸の輸出最前線施設として保管するために使用されてきました。
実はこの倉庫が戦後の学校給食開始時期の歴史に大きく係わっています。 学校給食が始まったとされているのは昭和21年(1946年)12月24日に贈呈式が行われたララ物資を用いたというのは、学校給食関係者なら誰もがご存知のことではあります。 ララ物資、あるいはユニセフ物資が横浜港に到着後、一時保管されていた倉庫が今まで現存しているということはあまり知られていませんでした。
右の写真は昭和24年に横浜港に入稿したユニセフ物資の歓迎感謝祭での様子ですが、この建物が、旧三井物産横浜支店の倉庫だったのです。
道路側は化粧レンガが施されているため、古い歴史を感じることができないのですが、裏に回ると赤煉瓦であることがわかります。 横浜の観光名所にもなった赤煉瓦倉庫よりも古い建物なのですが、白い化粧煉瓦が施されているために、横浜の歴史を活かした街づくりを推進してきた市民からもそれほど注目されてこなかったというのが皮肉です。
この旧三井物産横浜支店倉庫の解体が報道され始めたのが今年の8月初旬でした。 識者によるシンポジウムが開催され、新聞各紙にもその活動が報道されましたが、11月5日に工事が始まり、11月12日の段階で既に足場が組まれ建物が覆われ始めており、その建物を外から見ることができないようになっています。 現在ネットでの署名活動も行われていますが、所有者により正当に手続きが進められているので止めることができません。
右の写真は、当時学校給食やミルクプラントに配給された脱脂粉乳のドラムです。 これらの物資が、横浜港に入港しし、この倉庫に保管、計画に合わせて各地に運ばれていきました。 建築物としても、 日本の近代化の拠点としても、そして学校給食の歴史的にも貴重な建物が解体されてしまうのはとても残念です。 なんらかの形で残せないものか考えています。
場所は横浜市中区日本大通り、日本大通り駅から徒歩3分と近いです。